
[編集] 概要・人物
1970年、RCサクセション(THE RC SUCCESSION:以下特別の理由がない限り「RC」と略す。)のソングライター、ボーカリストとしてオムニバス盤に収録された「泥だらけの海」でデビュー。RC名義の単独作品としては、「宝くじは買わない」がデビュー盤。40年近くにわたり、ロックし続ける、「キング・オブ・ロック」。「ベイベ~ッ」、「愛しあってるかい?」などのステージでの発言、一度聴いたら忘れられない独特な歌声で有名。メンフィス名誉市民。日本アカデミー賞音楽賞受賞。代表曲は「雨上がりの夜空に」、「トランジスタ・ラジオ」、「スローバラード」、「ドカドカうるさいR&Rバンド」、「パパの歌」、「デイドリーム・ビリーバー(モンキーズのカバー。日本語詞は忌野の完全な創作で元の歌詞とは内容が全く違う)」、「JUMP」など多数。仲井戸麗市との名コンビで、日本のロックショーの形を作り上げた。
東京都内の仕事先には自転車で通うほどの自転車愛好家としても知られており、チームLSD (Long Slow Distance) を結成。「奥の細道」自転車ツアーやホノルル・センチュリーライドなど長距離サイクリングに挑戦している。「2005自転車名人」に選ばれた。総製作費160万円のロードレーサー「オレンジ号」を愛用。盗難に遭い後日発見されたことが報道され、話題になった。自作曲と同名の著書で自転車旅行の記録などからなる『サイクリング・ブルース』もある。
SOUL、R&Bに造詣が深く、往年の名ソウルシンガーオーティス・レディングを、最も影響を受けたアーティストの一人であると公言している。その影響は、ステージ上で発する「愛し合ってるかい?」というセリフや、曲中での「ガッタ、ガッタ」という独特の発声・シャウトなどからも伺うことができる。また、サム・ムーア(サム&デイブ)やチャック・ベリーらとジョイント・ライブを行ったこともある(アルバム『THE DAY OF R&B』に収録)。
ラブソングを歌い続ける一方、過激な曲を多く作っている事でも知られている。「雨上がりの夜空に」、「あこがれの北朝鮮」、「FM東京」、「目覚し時計は歌う(選挙ソング)」などが有名。
1982年には、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の坂本龍一と組んでシングル「い・け・な・いルージュマジック」をリリース。資生堂82春のキャンペーンソングとしてヒット。TVでは、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスを展開、時代を席巻した。
その後も数々のグループ、ユニットを結成。多彩な活動で知られている。 現在は忌野清志郎&ザ・ナイスミドルを結成し、活動。
2006年7月13日、自身のホームページにて喉頭癌であることを発表。2週間後に出演する予定だったフジロックフェスティバルを含め、以降の公演はすべてキャンセルとなった。
2007年2月21日、TBSラジオ「竹中直人ハードボイルド・ソーセージ」に療養後放送媒体のトーク番組に初出演し、告知を受けたときの心境や現在の闘病生活についてを語る。それによれば現在は玄米を中心の菜食となり、放射線治療は今現在は体調がいいので、本当にダメになるまでは拒否するという。
2007年4月、ブルーノート東京でのザ・ブルースブラザーズ・バンドの来日公演において、サプライズゲストとして参加した。
2007年12月8日、日本武道館でのジョン・レノン・スーパーライブ Dream Powerに、仲井戸麗市・新井田耕造・厚見玲衣をバックに出演、他出演者を圧倒するパフォーマンスで完全復活を印象づけた。
2008年2月10日、元RCのメンバーである仲井戸麗市・新井田耕造らと共に忌野清志郎 完全復活祭を日本武道館にて行う。発病前と変らぬパワフルなボーカルを聴かせた忌野は24曲を歌いきり、武道館を埋め尽くした13,000人のファンを酔わせた。 また、同年2月24日には大阪フェスティバルホールにおいて、同じく3月2日には京都会館第一ホールにおいてそれぞれ追加公演を行った。チケットは各会場ともSOLD OUTであった。 各公演の入場者に対しては「快気祝い」として、各会場名ごとに異なる手ぬぐいが渡された。
1970年、RCサクセション(THE RC SUCCESSION:以下特別の理由がない限り「RC」と略す。)のソングライター、ボーカリストとしてオムニバス盤に収録された「泥だらけの海」でデビュー。RC名義の単独作品としては、「宝くじは買わない」がデビュー盤。40年近くにわたり、ロックし続ける、「キング・オブ・ロック」。「ベイベ~ッ」、「愛しあってるかい?」などのステージでの発言、一度聴いたら忘れられない独特な歌声で有名。メンフィス名誉市民。日本アカデミー賞音楽賞受賞。代表曲は「雨上がりの夜空に」、「トランジスタ・ラジオ」、「スローバラード」、「ドカドカうるさいR&Rバンド」、「パパの歌」、「デイドリーム・ビリーバー(モンキーズのカバー。日本語詞は忌野の完全な創作で元の歌詞とは内容が全く違う)」、「JUMP」など多数。仲井戸麗市との名コンビで、日本のロックショーの形を作り上げた。
東京都内の仕事先には自転車で通うほどの自転車愛好家としても知られており、チームLSD (Long Slow Distance) を結成。「奥の細道」自転車ツアーやホノルル・センチュリーライドなど長距離サイクリングに挑戦している。「2005自転車名人」に選ばれた。総製作費160万円のロードレーサー「オレンジ号」を愛用。盗難に遭い後日発見されたことが報道され、話題になった。自作曲と同名の著書で自転車旅行の記録などからなる『サイクリング・ブルース』もある。
SOUL、R&Bに造詣が深く、往年の名ソウルシンガーオーティス・レディングを、最も影響を受けたアーティストの一人であると公言している。その影響は、ステージ上で発する「愛し合ってるかい?」というセリフや、曲中での「ガッタ、ガッタ」という独特の発声・シャウトなどからも伺うことができる。また、サム・ムーア(サム&デイブ)やチャック・ベリーらとジョイント・ライブを行ったこともある(アルバム『THE DAY OF R&B』に収録)。
ラブソングを歌い続ける一方、過激な曲を多く作っている事でも知られている。「雨上がりの夜空に」、「あこがれの北朝鮮」、「FM東京」、「目覚し時計は歌う(選挙ソング)」などが有名。
1982年には、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の坂本龍一と組んでシングル「い・け・な・いルージュマジック」をリリース。資生堂82春のキャンペーンソングとしてヒット。TVでは、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスを展開、時代を席巻した。
その後も数々のグループ、ユニットを結成。多彩な活動で知られている。 現在は忌野清志郎&ザ・ナイスミドルを結成し、活動。
2006年7月13日、自身のホームページにて喉頭癌であることを発表。2週間後に出演する予定だったフジロックフェスティバルを含め、以降の公演はすべてキャンセルとなった。
2007年2月21日、TBSラジオ「竹中直人ハードボイルド・ソーセージ」に療養後放送媒体のトーク番組に初出演し、告知を受けたときの心境や現在の闘病生活についてを語る。それによれば現在は玄米を中心の菜食となり、放射線治療は今現在は体調がいいので、本当にダメになるまでは拒否するという。
2007年4月、ブルーノート東京でのザ・ブルースブラザーズ・バンドの来日公演において、サプライズゲストとして参加した。
2007年12月8日、日本武道館でのジョン・レノン・スーパーライブ Dream Powerに、仲井戸麗市・新井田耕造・厚見玲衣をバックに出演、他出演者を圧倒するパフォーマンスで完全復活を印象づけた。
2008年2月10日、元RCのメンバーである仲井戸麗市・新井田耕造らと共に忌野清志郎 完全復活祭を日本武道館にて行う。発病前と変らぬパワフルなボーカルを聴かせた忌野は24曲を歌いきり、武道館を埋め尽くした13,000人のファンを酔わせた。 また、同年2月24日には大阪フェスティバルホールにおいて、同じく3月2日には京都会館第一ホールにおいてそれぞれ追加公演を行った。チケットは各会場ともSOLD OUTであった。 各公演の入場者に対しては「快気祝い」として、各会場名ごとに異なる手ぬぐいが渡された。
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